自惚れ編

以前のブログで書いていましたが、お母さんやおばあちゃんをすこし見下して育ちました。学校では、自分は周りの生徒とは違うとも思ってました。自分をわかる人なんていないって思ってました。

いやな子供だったのですが、ニコニコしていたので可愛がられることが多かったです。思えば、家族は優しかったし、先生方からは贔屓されていました。気づいたのですが、それは見た目が可愛いのもあると思いますが、自分が相手の味方であるように見せるのが得意だったからではないかと思います。小学生くらいからコツをつかんでいた気がします。

たとえば、絶対に悪口を言わないということを気をつけていました。女の子はみんな悪口や陰口が大好きですが、それは特定の人に対するものでないことに気づいていました。悪口を言えれば誰でもいいので、必ず、どれだけ仲良く遊んでいても、いつも一緒にいる子の悪口も言うようになります。そこで、悪口を言われた子はわたしに寄ってくるようになります。悪口を言っていた側の子たちにも恨まれないように慎重に、全員の味方を頑張ってました。

そうやって味方のフリをするのが使命だと思っていたし、心の中で馬鹿にして楽しんでました。文にすると残酷ですが、相手にとってはただの都合いい相談相手だったと思います。自分に対する好意さえも面白く思ってました。高校生のときには、信者みたいな人たちも現れました。

最近、わたしには信仰が足りないんじゃないかと思います。自分以外のほとんど全てを馬鹿にして生きてきましたが、大学生になって、いろんな人と出会って、みんなちゃんと自分を生きていてすごいと思うようになりました。自惚れに気づきました。自分の意思で、誰かの悪口を言ったり、誰かを信じたり、怒ったり泣いたりしてて、羨ましいと思いました。わたしは何を思って生きてきた?誰かを嫌いになった?誰かを好きになった?つまらない人間でした。味方のフリなんかを頑張っていた自分が惨めでダサく思えます。でもいまは、もう誰の味方になる気もないし、何を信仰すればいいかもわからないので、慎ましく生きます。